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御祭神

 当千葉縣護國神社は、幕末の嘉永6年(1853年)以降約一世紀にわたり、戊辰の役・西南の役・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・大東亜戦争などにおいて、ひたすら「国安かれ」との一念のもとに、その尊いいのちを捧げられた方々のみたまを、「護國」の神としてお祀り申し上げているお社であります。
 その御祭神の多くは幕末から、明治・大正・昭和にかけて、敢然と国難に立ち向かわれた前途有為な青壮年たちで現在五万七千余柱にのぼり、しかもそれは軍人だけでなく、従軍看護婦や児童、生徒など女性の御祭神も含まれているのです。このように、当社の御祭神は身分・勲階・男女の区分なく、すべて祖国に殉ぜられた尊いみたまとして斉しく大切に祀られております。

神社事歴年表

明治11年1月27日

明治天皇の御聖慮を奉戴し、初代県令柴原和の発起により、千葉県庁公園内に
千葉縣招魂社として創建。維新の役にたおれた下総國佐倉藩安達直次郎盛篤命を
はじめ16柱を合祀。

明治22年

千葉神社境内に奉遷。

昭和12年3月

境内の狭隘と社殿の老朽の為、亥鼻山に改築奉遷決定。

昭和14年4月

招魂社制度の改正に伴い、千葉縣護國神社と改称。

昭和18年3月

社殿竣工。

昭和19年4月

内務大臣より一県一社の護國神社として指定される。

昭和18年4月19日

鎮座祭を執行。

昭和18年6月11日

久邇宮朝融王妃殿下御参拝。

昭和19年4月22日

賀陽宮恒憲王殿下(東京師団長として)御参拝。

昭和20年7月7日

戦災により千葉市の大半焼失の際、社殿炎上。

昭和21年10月

仮本殿を造営。

昭和22年4月

頌徳神社と改称。

昭和27年6月〜

旧称千葉縣護國神社に復する。

昭和35年10月10日

終戦十五周年の故をもって天皇陛下より幣帛料御下賜。

昭和36年7月

遺族の要望にも応え千葉市弁天町地区千葉縣忠霊塔隣地を、
新境内<当時国有地>とすることに計画決定。

昭和40年11月10日

終戦二十周年の故をもって天皇陛下より幣帛料御下賜。

昭和42年9月30日

亥鼻山より現境内地に御遷座。

昭和42年11月1日〜3日

特に天皇陛下より幣帛料御下賜あり、三日間に亘り本殿遷座奉祝祭を斎行。

昭和42年11月1日

本殿遷座奉祝祭に天皇陛下より幣饌料御下賜。

昭和48年10月13日

天皇・皇后両陛下御親拝。幣饌料御下賜。

昭和48年10月28日

皇太子同妃両殿下御参拝。幣饌料御下賜。

昭和50年11月10日

終戦三十周年の故をもって天皇陛下より幣帛料御下賜。

昭和53年10月10日

御創立百年大祭を献幣使参向のもとに秋季大祭に併せて斎行。

昭和60年10月10日

終戦四十周年の故をもって天皇陛下より幣帛料御下賜。

平成4年11月7日

全国豊かな海づくり大会にあたり天皇・皇后両陛下より幣饌料御下賜。

平成7年6月22日

御創立壱百拾五年記念事業神社修復整備工事竣工。

平成7年10月10日

終戦五十周年の故をもって天皇陛下より幣帛料御下賜。

平成8年7月1日

神社本廳別表に掲げる神社に加列せらる。

平成10年4月10日

御創立百二十年大祭を献幣使参向のもとに春季大祭に併せて斎行。

平成15年5月17日

全国植樹祭にあたり天皇・皇后両陛下より幣饌料御下賜。

平成17年9月27日

大東亜戦争終結六十周年記念事業大鳥居再建・御社殿修復工事竣工。

平成17年10月10日

終戦六十周年の故をもって天皇陛下より幣帛料御下賜。

平成22年9月24日

天皇陛下より幣饌料下賜(国民体育大会ゆめ半島千葉大会)。

平成27年10月10日

終戦70周年の故をもって天皇陛下より弊帛料御下賜。

令和2年11月25日

新境内地・新社殿造営工事地鎮祭(千葉市若葉区桜木)。

令和3年9月27日

新境内地・新社殿造営工事上棟祭。

令和4年2月25日

弁天より現境内地に御遷座。

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